雷の季節がやってきた時の装備として


 夏と言えば入道雲!積乱雲とも言いますね。遠くから見ていると雄大で青空との境もくっきりしていて、たくましくも見えます。
 出来始めは可愛らしい積雲。シュークリームみたいな形をしていて可愛らしいのですが、不安定な気象状態では、30分ですごく発達して、1万メートル越えで成層圏に達した後は偏西風に頂が流されカナトコ状になります。地上付近は突風が吹き、埃っぽいにおいと共に大粒の雨が降り出します。雹が降ったり、雷鳴や落雷。ゴルフや野球をしていると・・・さあ逃げろ。です。

 ピカッと光る稲妻と強烈な音。身がちじこまります。古代の人は雷をどう見ていたのでしょうか?神様のいたずらと思っていたかもしれませんね。

雷は夏だけ?

 雷・夏の風物詩のようにも思えるのですが、実は一年中起こります。
 大気状態が不安定な時に起こります。
 春や秋は梅雨前線に伴って、前線が通過するときに起こります。そして梅雨明けの時の集中豪雨での雷。冬も結構雷は鳴ります。寒冷渦による荒れた天気。吹雪。そして一発雷。

 もちろん夏には、雷様の大好きな季節かもしれませんね。
梅雨が明けると通常は、からっと晴れた夏空が広がります。この時はほとんど雷もなく、快適な山歩きが出来ます。これは7月下旬から8月上旬です。
 8月のお盆のころからは、大気の状態がが不安定になってきますので、午後2時ごろから雷が鳴り始めます。しばらくは決まってこの時間ぐらいから午後の4時ごろまで、雷の時間です。

 山登りは、朝早く出発して午後2時までには小屋に到着する方がいいという意味はここにもあります。

雷の事故事例(出展: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)を抜粋編集)

 1967年8月1日の気象状態は、本州を挟む形で高気圧が2つ並んでおり、南海上には台風があったため、大気の不安定な状態となっていた。
長野県松本市の深志高等学校二年生の登山パーティーは、北アルプスの西穂高岳での希望者を集めて教員の引率による集団登山を行なっていた。参加人数は教員併せて計60人。上高地で一泊し、次の日の朝から西穂高に登頂して、翌日下山、帰る予定であった。
 46人が正午過ぎに登頂したが、山頂にいるうちに天候が悪化し、大粒のひょうまじりの激しい雷雨となったため、パーティーは下山を開始した。いったん雨はやんだが、ピラミッドピークを通過したあたりから再び激しい雨となり、雷も鳴り始めた。 13時半頃、先頭が独標を通過し鎖場に差し掛かった時に雷の直撃を受けた。雷撃を受け動けなくなるもの、雷撃により飛ばされ転落するものなど、現場は混乱した。事故発生の連絡を受けた西穂山荘からは従業員と東邦大学医学部による西穂高診療所の医師ら二十余人が現場に向かい救助活動を行った。また、事故発生時、松本深志高校のうしろにいた、神奈川県と東京都の登山パーティーも自主的に救援活動を行っていた。
 生徒11名が死亡、生徒・教員と会社員一人を含めた12名が重軽傷を負った。11名の死者のうち、9名は雷撃死であったが、2名は雷撃のショックによる転落死であった。

私も雷での恐怖体験があります

 若い頃の体験ですが山登りで尾根を縦走していました。頂上で昼ご飯。ホエーブス(ストーブ)にお湯を沸かしたコッフェルにラーメンを入れながら隣の山を見ていると雷が鳴っているらしく稲光が尾根に落ちていました。自分たちの上は晴れていますし、ラーメンを焚きながら高みの見物をしているという、今から考えると気楽なもんで。向かい側の尾根に雷が落ちています。そのうち雲行きが悪くなってきて・・・5分もしなかったと思います。生煮えのラーメン。撤収退散。さあどうする。
 その時の人間の行動は、ザックにコンロを放り込み、鍋を持ったまま走りました。
食い意地か・人間パニックになると冷静なようで何も考えていないことをその時思いました。ひたすら逃げる逃げる。ふと感じた事。このまま尾根筋をいくら走っても、周りよりも高い事。そこで遅まきながら谷を転がるように降りました。ブッシュの中、樹林の中。後は祈るのみ。バリバリ。ごろごろドカーン。生きた心地がしないとはこのことです。ひとしきり雷の洗礼を受け無事雨もやみました。
 慌ててカッパは来ていましたが汗でびしょ濡れ。そして、思いつきました。ラーメン。コッフェルの蓋を開けてみると。麵はふやけておまけに隙間から飛び込んだのか、体長5センチほどのカマドウマが中で煮えた状態で入っています。さすがに食べられませんでした。

 これもあるときの事。草木もない尾根筋、南ア。
 8月。午後。発達していく積乱雲そして雷。
 気のせいか雷は下から打ち上げてくるような稲妻。山々に反響する壮絶な音。逃げ場もなく尾根筋から下りハイマツの中へ身を潜めました。退避するときに雹とピッケルがジージーと蝉のような音。ほんと死んだと思いました。※昔は日本アルプスに登るときは皆ピッケル持っていた時代がありました。

 この2回の恐怖体験から、雷の本を読み漁りました。昔はみんなこの程度の知識でした。雷の中で傘をさしている登山者もいたぐらいで、さすがに私はそれはダメだろうという知識ぐらいです。

雷の予知は可能か

 恐怖体験。当時も、夏山ではAMラジオは持っていきましたし、天気図も書きました。今でも思い出すラジオから流れるアナウンサーの声。南大東島では南の風風力2気温30度・・・。AMラジオは天気図を書くほかに、空中放電をしている遠くの雷をノイズとしてとらえるので、一応の活用はしていたつもりです。

 当時は、このラジオノイズと観天望気が唯一の身を護るための道具でした。

そして、新兵器!

 そして、今は!
 進化しています。その名も「NTD-P01雷探君」英語では「THUNDER DETECTOR」

 雷の放電に伴う電磁波をとらえることによってLED とアラームで知らせてくれるものです。

雷探君


  約 40km(約 1 時間)圏内にはいると黄色LEDで注意
  約 20km(約 30 分)圏内ではオレンジLEDで警戒
  約 10km(見える、聞こえる)圏内では赤色LEDで危険
  電源および動作時間 単4型アルカリ乾電池2本で約 400 時間(待受状態)
  寸法・質量 約 D:86×W:54.5×H:15.5mm 約 65g(電池含む)
  防水防塵 生活防水 IP33(JIS C 0920)

使ってみました

 雷探君を購入してひと夏、歩き回りました。
 エリアはホームベースの大峰山系から台高、鈴鹿山脈を中心に、北アの尾根歩きも行いました。実感として大変参考になります。
 ただ、黄色は夏場ですとしょっちゅう光っていますので、この程度では逃げる必要は感じなかったのですが、早く危険個所を通過しようという危機意識を持てます。さすがにオレンジが着き始めると焦りますね。20km圏内に入ったという事になります。遠雷は聞こえ始めます。空中放電でもLEDは光りますので。
 現在の山登り。「雷探君」&「稲光と落雷の音が聞こえる時間」も参考にして使っています。例えば、光ってから10秒で音が聞こえると340m(音速)×10秒=3400mという風に!

使った感じ

 私の山行きでは大変重宝しています。
 なにせ、山に雲が覆ってしまうと、自分が今、層雲の中なのか積乱雲に突入しているのか判断に苦しみます。たとえば霧の中を歩いていた場合に「雷探君」が黙ってくれていたら安心です。
 この心理的ストレスから解放されるだけでも価値ありですね。
 ちょっとお高いように感じますが、一つあるだけでずっと使えますから持っておくに越したことは無いと思います。

 雷探君以外にも商品はあるかもしれませんが、一応私の持っているものを載せさせていただきます。

投稿者

yamatano

1958年(昭和33年)生まれ 近畿の山々2,000m以下の低山のあらゆる尾根や谷からアプローチする山登りをしています。六甲山は250回以上、金剛山は400回以上、大峰、台高、鈴鹿の山々を主体に、登るブッシュハイカーです。

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